新しい価値は掛け算によって引き起こす

ムーブメントからイノベーションの時代へ。

大きな共通価値が共有されている時、ムーブメントは起こりえますが、それは有事のようなときに限ってしまうため、実はこの日本では共感を生み出しにくい。むしろ、新たな価値を創出し、新たな(潜在的)ニーズを浮き彫りにするような取り組みこそが求められている。それがイノベーションです。

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日本JCの京都会議が終わり、私は同じ茅ヶ崎JCのメンバー二人と、京都市内にあるハイアットリージェンシーのラウンジに座っていました。とある人物にお会いするためでした。

「気楽にして、リラックスしていこう」

そう言うと、その人は私たちに柔らかな笑顔を見せてくれました。

その方は、青年会議所において大変大きな功績を残された方のひとり。現在は卒業をされ、企業人として全国を飛び回る日々を送られています。

そんな方に、私たちはお願いにあがりました。私たちの茅ヶ崎JCで講演をしてほしい、と。

厳密に言えば、すでにその承諾はいただいていたのですが、まだ詳細についてお話をする機会を設けることができなかったため、今回京都にいらっしゃるタイミングでお時間をいただきました。

約80分に渡って行われた相談から、その方のお話の内容を要約すると、大きく下記の3点に分けることができます。

1.イノベーションは2つの異なる価値の掛け算によって起こしうる

0から1を生み出す、って言葉が使われることってよくありますが、その具体的な意味ってよくわかりません。0から1は生まれないのではないか、という発想があるからです。

例えば、飛行機という乗り物が始めて誕生した時、何もないところから突然ライト兄弟が飛行機を生み出したわけではありません。動力(エンジン)が生まれ、物理学という学問があって、鳥という生物がいて、そして空を飛びたいっていう素朴な夢がかけ合わさって、そこに異常なまでの努力によって飛行機の原型ができました。

また、いま私たちが普通に使っているパソコンだって、突然生まれてきたわけではありません。電気信号についての知見が蓄積され、0と1による計算式で物事を指示・解析できるようになったという技術が掛け合わされ、こんなことができたら良いなっていう想像力(妄想力)が原動力になって生まれたわけです。

つまり、新たな価値の創出は、既存の価値・技術の掛け合わせによって生まれてきたのであり、それがつまりは「進化」として、歴史上評価されるのです。

これをまちづくりについて置き換えてみると、例えば「高齢者が住みやすいまちづくり」というテーマで取り組む時には、バリアフリーという発想だけでは足りず、例えば「IT化」だったり「カジノ」だったり「風俗」みたいな、一見すると掛け合わせるイメージのないものを掛け合わせてみると、これまでとは全く異なる視点で「高齢者が住みやすいまちづくり」をデザインすることができるかもしれないのです。

2.ビジョンなき運動に参画する人はいない

青年会議所は40歳で卒業です。だから会員拡大が重要と言われます。

しかし、あなたの青年会議所では会員数が何名なら最適なのか?という質問に的確に答えられる人はほとんどいないと思います。仮に、100名必要です、と明確に答えたとしても、なぜ100名なのか?と問われた時に、100名LOMは数少なく一定のステータスになる、とか、昔は100名LOMだった、といった感情論てきなものを抜き出ることは難しいのが実情です。

これは、寄付を募る時を想像してみればわかることですが、寄付は「なるべく多く集めたいのでお金をください」といってお金を出す人は、その人に信頼がある場合や、お金が余っていて使い道に困っているというようなケースしかなかなかないでしょう。

会員の拡大について考えれば、30名拡大する、といったときに何故30名なのかという答えがない限りは、根性論で語っているのみでしかなく、結局のところ消耗戦に陥って、「結果的にうまくいった、うまくいかなかった」という以上の結論に至らず、翌年度以降の拡大にノウハウとして残らないことになります。

その人数は、どのような運動結果を残したいのか、というビジョンによって導かれるものであり、その本質に立ち返って考えなければならないのです。

ちなみに、少人数の企業が大企業以上の成果を残す現代を見てみれば、数よりも本質論なのだということは自明です。

3.全ては「背景事情」への一次情報をつかんでいるかどうかにかかっている

「通信技術の発達によってコミュニケーションが希薄になって・・・だから地域コミュニティの再生が必要です」というような背景事情を並べることって、JCではよくあることです、しかし、この背景事情は果たして正しいのでしょうか?

答えとしては、そうだと思う人もいるし、そう思わない人もいる、というのが正しいでしょう。もしそれがどの程度の割合で思われているのか、という点を抜きに語られるとすれば、「じゃあどうなれば良いの?」という答えも持たないことになり、結局のところどういう結果を導きたくてどのような手法をとるべきかという事業計画の根幹部分がスカスカになってしまいます。その結果生み出される事業は、残念ながら誰にとっての価値も乏しいことになってしまいます。

私たちは、地域の活動をしているのに、地域の一次情報をほとんど持ち合わせていません。この一次情報を正しくキャッチすることが、あらゆるスタートであって、これはJCであろうが、仕事であろうが全くもって同じことなのです。

以上のような話を(私なりの解釈も大いに含めたかたちで)ご紹介をさせていただきました。

反省すべきことがたくさん出てきました。

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【編集後記】

京都入り3日目。妻が合流しました。火曜日までお休みをいただき、その後一気に仕事モードに戻りますので、関係者のみなさまにはご迷惑をおかけしますが、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

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