”己の生き様を恥じずにはいられない”
そんなことを感じる失敗談があります。
今日はちょっとその辺りのことを書きたいと思います。
僕が所属する茅ヶ崎青年会議所(茅ヶ崎JC)に昨年、多額の寄付をしてくださった先輩がいました。歴代理事長であり、その方の息子二人も歴代理事長であり、それくらい茅ヶ崎のまちづくりにコミットされてきた方です。
茅ヶ崎JCでそこまでの多額の寄付をいただいたのは初めてで、現役執行部としては本当にありがたく頂戴いたしましたが、この本質的な意味をわかってなかったなぁという出来事でした。
茅ヶ崎JCでは、1月に定時総会を開催しますが、そこには前年度の報告及び決算案と、新年度の補正予算案が記載され、また、前年度の取り組みや理事長や副理事長、委員長、出向者など、それぞれの立場の振り返りを掲載するという構成になっています。このかたちで、10年以上やってきました(今年は創立50周年です)。
ある意味で、定型化されている総会資料に、上記の寄付金について記載したページを設けなかった、というのが失敗談です。これがきっかけで、シニアクラブ(茅ヶ崎JCを卒業された先輩方で構成されるOB組織のようなもの)でざわつきが発生しています。
総会資料として誤りがあったかどうかという点からすれば、たしかに形式上に問題があるわけではありません。
前年度の決算の中には、収入金の中に、当該寄付金についての記載ももちろんありますし、数字として何ら間違っている部分はありません。監督官庁に提出するにあたっても、何も問題はありません。
では何が問題になっているのか?
一部では、先輩への感謝が足りない、という声が出ています。
それに対して、感謝状を出している、という声もあります。これが実情です。
あなたは、どう思いますか?
これは明確に、私たちに問題があります。どういうことでしょうか。
昨年、お預かりした寄付金は、ただ単に「がんばってね」という程度の意味合いではありません。
このまちを先陣切って走ってきて創ってきた経営者の一人が残した遺産の一部を、同じ志のもとに生きてきた息子がその意思を受け継ぎ、さらに当人にとってこのまちに最も必要なライフスタイル・価値観として掲げるローカルファーストを根付かせる取り組みをしてほしいとの想いをもって、このまちのなんだかんだで中心的機関の1つである茅ヶ崎JCの現役に「託した」ものです。
この「託した」という部分に、寄付金の本質があるのだと。ようやく気がつきました。
まちづくり、人づくりを標榜する団体。それが青年会議所(JC)です。
このまちづくりや、人づくりというのは、本当に時間がかかるもので、それこそ何十年というスパンで襷をつなぎながら、ほんの少しずつでも理想に近づけていくために、うまくいった経験も、うまくいかなかった経験も、すべて受け継ぎながら、ビジョンを修正しながら一歩ずつ一歩ずつ進めていく、極めてロングスパンの取り組みです。
この取り組みを蓄積していくことが、組織の信頼性と強さとなり、まちの文化となるのです。
総会資料がどうあるべきか、というのはその極々細目的な話に過ぎないのですが、しかしながら、この資料は組織にとっては確かな引き継ぎ資料となるわけで、その資料に「必要なことは乗っている」「法律上・制度上これで問題ない」という視点だけでは、今書いたような蓄積に全くつながりません。
この視点が完璧に私たち現役には欠けていた。これが、本質的な問題です。
そして、この問題を突破するにはおそらく相当に時間を要すると感じています。
というのも、このような視点が抜けていたというのは、習慣の問題だからです。
一世代前の茅ヶ崎JCでは、このような視点を大切にすることがいわば「当たり前」だった人たちが少なからずいたのですが、今はそうではありません。これは社会全体に言えると思う。
もちろん、今の組織を作ってきたのも、その時代時代の襷を受け継いできた先輩たちなのですが、そんなことを言っても何の意味もないし、己の無力さを露呈するだけで恥ずかしい気すらします。
この団体のメンバーとして活動することの重みと責任というのは、このような視点に基づいて活動して初めて自覚することができる。きっとそう思います。
温故知新
この言葉は、ようやくスタートを切った気がします。
今回の失敗については執行部でしっかりと掘り下げ、50周年から新たな時代をつくっていく礎にしなければならないと、強く感じます。
人間とはなんぞや
人間が生きるとはなんぞや
これは、本年度の公益社団法人日本青年会議所(日本JC)の池田会頭の所信に触れられている言葉。
私たちが生きるという意味とは、すべからく次代への継承にこそ本質があり、より良い伝承を実現するためには、今の時代、家族をはじめとする自分の周囲の人々の幸せの実現に他ならないのだと思う。
そのことを深く自覚し、また一歩踏み出したいと思います。
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【編集後記】
己のあり方を自覚した時、自分の事業を大きくしたい、という希望から、自分の事業は大きくしなければならない、という使命感に変わりました。
今夜は久しぶりに静かな夜。静けさの中でこのブログを書いている中で、沸々と湧き上がってくる強い気持ちをしっかりと感じます。
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