自分の頭で考える、が自分の成長を阻むこともある

金太郎飴のような答案ではなく、自分の頭で考えることが大切なのだ。そう法科大学院時代に叩き込まれたものの、それが結果的に自分の成長を遅らせる部分も生み出したことに、最近教わりました。もちろん、自分の頭で考えるから、そこから発信されるメッセージに力強さが生まれるのだと思いますが、他方で、自分の頭で処理できない限りは次に進めず、結果的に必要な成長が遅れるという事態が生じてしまいます。そのバランスについて考えてみます。

img_0828

「てっちゃんはね、考えすぎなのよ。だからあなたはもっと成長していて良いはずなのに、それができていない。」

先日、私が所属する公益社団法人茅ヶ崎青年会議所で大変お世話になっている方から言われた言葉です。なかなかこういうことを面と向かって言われることってないと思いますが、これまでの人生を振り返ってみて、「確かにそうかもしれない」と思う自分がいました。

型があるからそれを崩せる。型がないのに崩したら、それは型無しだ。

こんな言葉がありますが、型は理解するよりも先に体に染み込ませる方が物事は先に進むのだと、先の言葉で一気に感じました。

なぜそれが必要なのか?と立ち止まって考えることは、すごく大切なことだとは思います。しかし、それを繰り返していると、全然進まない。

たとえば、「勉強しなさい」と子供が言われた時に、「そもそもなぜ勉強が必要なのだ?」と立ち止まっていたらどうでしょう?非常に哲学的な大人に育つ可能性はありますが、社会では使えない人になる可能性が圧倒的に高いですよね。勉強が必要かどうかは、勉強をし続けて、ある程度見えるべきものが見えてきた時に、「やっぱり勉強って必要なんだ」ってわかるのだと思います。

大人になって、社会に出てみると、答えのないものばかりに出会います。

考えてみても答えはないし、合理的かどうかくらいの尺度しかないことの方が多いです。

でも、経験的に「これは大切だからこうしなさい」と目上の人から言われることがあって、それが本当に正しいのかどうかは根拠薄弱だったりしますが、でも往々にして正しいことの方が多いわけです。

とはいえ、「たしかにそういうことはあるかもしれないけど、目の前のその人が言っていることが正しいとは限らない」という新たな疑問が出てくるかもしれません。その判断基準は、「その人は正しいと他の人たちから評価を得ているかどうか」「その人のことを自分が信頼しようと思えるかどうか」というところでしょうか。

||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

【編集後記】

一分間でA4用紙1枚に考えていることを書いて10セットおこなうという「ゼロ秒思考」のトレーニングを始めてます。頭がカッカする感じがして、良い感じです。

一分間のタイマーは下記のアプリを使ってます。無料版で5回まで繰り返せます。とりあえずそれで十分な気がします。

Repeat Timer Free - Repeating Interval Alarm Clock Timer

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする